アイ☃️スクリーム〜140字には収まらない諸々〜

推しについて(主にすの☃️)自分の呟きたい事が、140字では収まらない時に使おうかと。

好きなものの共通点と自分の反省文

1.私、福山雅治様大好きなんです。

 

 中高校生の時、私の通ってた学校では朝礼が始まる前に、10.分間読書という時間があった。その名のの通り、10分間読書する時間で、漫画以外なら何読んでもいい、テスト期間であっても勉強しちゃだめというものだった。読書は嫌いでは無かったので、その時間は割と好きだったし、結構その影響で読書好きが多くなって、友達同士で、その10分間読書で何を読んでいるかが度々話題になり、クラス内で流行っる小説などができた。

 その中で東野圭吾さんの『ガリレオシリーズ』が流行った時期があった。月9ドラマやっていた時期で、私もだいぶハマった。そして、福山雅治さんにハマりまくった。

 

 ドラマ+ラジオにハマって、音楽も聴くようになり、親に頼んでファンクラブに入ってもらい母と一緒にLiveに行くようになりましたね。高校の期末テスト中の土日のLiveとかでも、母ちゃんに「福山と勉強とどっちが大事なの!?」って言われて「勿論、福山だよ!!!」っていってテスト勉強せずに、行ってましたね。母ちゃん最高かよ。

 それから数年、私が大学生の時、我らがましゃ兄がご結婚をされました。そのニュースは授業中に友達からLINEニュースで回ってきて、その後私は自主休講したり。もうね、一夫多妻制にしてくれと思いましたね。(なったとしても、妻になれると思うなよ、自分!!)

 まぁ、そんなこんなで、華の10代の青春を福山雅治さんに捧げましたね。(←言い方)

 ただ、自分の周りの同級生では中々ハマってくれる人はおらず中々、好きを共有できる人がいなかったです。(世の中には同年代でも好きって言う人沢山いるのに、何で私の周りにはいなかったの?!)

 好きを共有出来ずとも、話を聞いてくれる人はいたので勝手にオタク語りしてたりしましたが、私の「好きなもの」を否定してくる人もいました。

 

2.福山雅治派じゃない人との対峙

 その人からは「福山の歌って嫌いなんだよねー、ジェンダー感が古臭い感じで」と言われ、どうして?と思いました。

が、私は、激弱メンタル、逃げるが勝ちシステムを採用している人間で、その場を「あぁ、ヘヘッ」と愛想笑いで、会話のキャッチボールをエラーで試合終了させてしまいました。

 

 嫌いなんだよねーと言われた後、愛想笑いで会話をぶった斬ったため、推測でしか無いが、多分彼女の言っていた「ジェンダー感が古臭い歌」と言うのが『家族になろうよ』だと思われる。ちょうど10年くらい前の話なので、時期的にも合うと思う。

 彼女がその歌から受け取った感覚とは、違う感覚を私はあの曲から感じていて、それは全くの逆の意見だったのでとても驚きだった。

 彼女の意見は推測するしか無いのだが、彼女は「家族になろうよ」の歌を、父母兄弟がいる家族を幸せだと固定され、男女の役割が固定された、それが幸せなのだと言っている歌詞だと、捉えたのかな?と思った。

 

3.家族になろうよの歌詞解釈

 私は真逆にその歌詞の意味を受け取っていたので、あの時ショックを受けました。(まぁ、ちょっと言い方怖かったのもある)

 

 家族になろうよと言う歌の中で、出てくる主人公は女性で、福山さんのmilk teeや、Squallという歌の主人公でもあるってラジオで言っていた気がする(違ったらごめんなさい)。

家族になろうよって歌は、その主人公が結婚を決めるにあたっての、覚悟の歌だと思ってて、その覚悟の歌は固定された家族が幸せだとは言ってないと思うんです(個人の意見ですが)。

 

最初の方の歌詞に

 

「どれほど深く信じ合っても、分からないこともあるでしょう。その孤独と寄り添い生きる事が『愛する』ということかもしれないから...」

 

って歌詞があるんですが、この主人公の『愛する』という事は分かり合えない事もある、その孤独と寄り添い生きるとかもって捉えているんですね。(歌詞通りですが)

 

「いつかお父さんみたいな大きな背中で、いつかお母さんみたいな静かな優しさで」「いつかおじいちゃんみたいに無口な強さで、いつかおばあちゃんみたいに可愛い笑顔で」

 

 ストレートにこの歌詞を、主人公の『愛する』ということを考慮せず考えると、尊敬する父母、大好きな祖父母を見習ってって、感じに聞こえますが、

この主人公の『愛する』という概念を前提に考えると、父母祖父母、家族をストレートに全肯定してるとは思えないんですよね。

主人公は、父母祖父母の事それぞれ愛しているし、信じてはいるけど、それでも分かり合えない事もあったりして、それでも尚、分かり合えないと言う孤独を抱えながらも、日常と共に歩んできた家族。その孤独を抱えながら歩いた道のりがこの主人公にとっての『家族を愛する』ということ。

 だと、考えると大きな背中の父を尊敬しつつも、頑固なところがあって分かり合えなかったりしたんじゃ無いかな?とか、いつも静かな母の優しさに甘えていたけど、母の意見を出さない所に、イラついたりしたのかなぁとか、大好きな家族だけど、分かり合えない事も沢山あって、時には傷つけられたり、傷つけてしまったりした時もあったんじゃ無いかな。

それでも、家族のそれぞれの尊敬できる部分を受け継いで自分は新しい家族と共に幸せになるよって、自分の家族へ向けて歌ってるんだろうなと思ってたんですよ。

 

 そして、自分の妄想をもっと爆発させると、もしかしたらこの主人公は家族に結婚を反対されてるんじゃないかと妄想したりもしてました。

 この主人公の結婚相手は、シングルファザーやシングルマザーで、既に2人の子供がいる人だったらするなかなぁー?とか。(後半の歌詞に出てくる男の子と女の子が相手のお子さんの可能性もあるよなと思ったりして(似ている部分が遺伝でなくても似る部分な気がして))

 愛する家族が分かってはくれない、家族の反対を押し切って結婚する。反対されてても、分かり合えない家族であっても、『愛する』家族の尊敬する部分を受け継いで、自分は幸せになるからねって言っている気がして。

自分は自分なりに、あなたたち家族の愛を受け取って、自分で幸せになるからねって言ってる気がして。

 この「家族になろうよ」の主人公は、時代や他人の考えに流されたりしない人なんだろうなと、思ってたんで私は、ジェンダー感が古臭い歌だとは思えなかったんですよね。むしろ、自分の中で他者との生活を、信じ合って生きていく事、時には孤独と共に生きていく事を覚悟しながら、それでも共に生きる事を決めて幸せになろうよって言ってるのかなと。

 

4.福山雅治様の好きなとこ

 結婚っていうおめでたいテーマの歌なはずなのに、曲調も、すこし寂しい感じもするし、結婚ってモノを深く考えた上で覚悟を決めましたっていう、福山雅治さんの意思も感じられる様な気がして(この曲が出た時そろそろ結婚か?と慄いたなぁ)福山雅治さんの人生観とかも反映されているんだろうなって考えると、スーパースターの中の人間味を感じれる気がしてすごく好きなんですよね。他の歌でも、福山さんの思い出だったりを感じさせる様な歌(蜜柑色の夏休みとか!)が好きなので、自分は歌、音楽そのものが好きというより、そこに人間味が表現されている部分だったり、共感できる部分があると、好きだと感じるんだなぁと思いました。

 

んで、やっとこ本題です。

 

5.私の『好き』共通点

SnowMan福山雅治の、好きの同じとこ

 

 歌やダンスと言った、表現の中に、その人の人間味というか、自分との共通点、共感出来る部分が見えたとき、自分は好きになるんだなぁと思った。

 スーパースターな部分や、アイドルらしさって部分も勿論好きだけども、その人が表現する何かから、その人の生き様だったりその人の考え方や価値観が、ふとした時に表現される瞬間が物凄く好きになる。

 SnowManのダンスって、揃ってて凄かったりするけど、9人それぞれの性格だったり、自分はこう表現しよう!という意思があって、揃ってても、同じ振りはしてない気がするんですよ、ダンス分からんけども。

 すのちゅーぶでも、6人時代の雰囲気と、9人なりたての時と、今の9人の関係性と、本当全然違くって、ちゃんとそれぞれが意識しながら、頑張ってコミュニケーションとってきたんだなぁって感じが人間らしいというか、アイドルってものは、完成されたものじゃない感じがすごく好き。

 あと、バラエティーに出てても、緊張してたり、印象残すためにどうしようって戸惑ってたりする所とかが、アイドルなんだけども、すごく普通の人って、感じがして、共感できて好き。(ましゃ兄は、バラエティー慣れしてる感じが逆に、もう長年やってるからねって感じが好き。大御所扱いされるのを最早楽しんでそう)

 音楽的に好きの共通点がない両者だけども、それぞれの表現方法の中で、その人らしさっていうものが出てたりする、瞬間が自分は好きなんだと気がつきました。

 

 

 

 

 

私に嫌いを伝えてくれた人へと自分の反省

 私は『家族になろうよ』の歌詞を、上記のように、解釈して、好きだと思っていました。

あの曲を嫌いだと、言っていた彼女は、どう思って、嫌いだと言っていたのでしょうか?

歌や他芸術作品って受け取る側に正解は無いと思うから。どこの部分をジェンダーだと、古臭い、嫌だと思ってたんだろう?

 今思うと、否定的な意見をもっとちゃんと聞いておくべきだったと後悔しています。人から嫌われる勇気を持たず逃げてくると、人の本質を分からないままになる事に、今更気がつきました。彼女は私に関わろうと、私にボールを投げてきた何も関わらず、それを避けてしまってごめんなさい。

 人の考え方は千差万別、十人十色、当たり前ではある事なのに、自分の意見を持たないとその事にも気がつきませんでした。

 

 否定的な意見を避けてきたけど、その意見の中にある、その人の本質の方が大事なんだなぁと思うようになって、今まで逃げてきた否定的な言葉の裏には何があったんだろうなぁと思う。自分はそういった本質と向き合わず成長してきたんだなぁと反省です。喧嘩ではなく、話を聴き合えれば良かったんだなぁと高校を卒業して10年経ってから分かってきました。

 

まだまだひよっこなので、色んなものに触れて、成長していきたいなあ。